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近世ヨーロッパ |2026-06-01

ガリカニスムとウルトラモンタニズムとは?

中世末から近世にかけてのヨーロッパのカトリック教会では、ローマ教皇の権威をどこまで認めるかが大きな問題となってきました。特にフランスでは、国内教会や王権の独立性を重視する立場と、ローマ教皇の最高権威を重視する立場が対立しました。

この対立を理解するうえで重要なのが、ガリカニスムとウルトラモンタニズムです。

ガリカニスムとは

ガリカニスムとは、フランスのカトリック教会が、ローマ教皇から一定の独立性を持つべきだとする考え方です。

フランス教会はカトリック教会の一部でありながら、教皇の命令に完全に従うのではなく、フランス王権や国内教会の権威も重視すべきだと考えました。

つまり、ガリカニスムは、フランス教会の独自性を認め、教皇権を制限的に考える立場、といえます。

ガリカニスムが強まった背景

中世末から近世にかけて、フランス王権が強化されると、国王は国内の教会人事や教会財産に影響力を及ぼそうとしました。

すでに16世紀のフランソワ1世は、1516年に教皇レオ10世とボローニャの政教協約を結び、フランス国内の高位聖職者任命に国王が強い影響力を持つ道を開きました。

こうした流れはルイ14世時代の1682年のフランス聖職者宣言にもつながり、そこでは教皇権を制限し、フランス王権とフランス教会の独自性が強調されました。

ウルトラモンタニズムとは

ウルトラモンタニズムとは、ローマ教皇の権威を強く支持する考え方です。

「ウルトラモンタニズム」は「山の向こう」を意味し、フランスから見てアルプス山脈の向こうにあるローマを重視する立場を指します。

この考え方では、各国の王や国内教会よりも、ローマ教皇こそがカトリック教会全体の最高権威であるとされました。

つまり、ウルトラモンタニズムは、国の教会はローマ教皇に強く従うべきだとする立場、といえます。

フランス革命後の展開

フランス革命では、教会財産の没収や聖職者民事基本法により、教会は国家の強い統制を受け、政府に従う聖職者とローマ教皇への忠誠を重んじる聖職者の対立が生まれました。

ナポレオンは1801年に教皇ピウス7世とコンコルダートを結び、この混乱を収めようとしましたが、教会はなお国家の影響下に置かれました。

こうした経験への反発から、19世紀にはローマ教皇を中心に教会を守ろうとするウルトラモンタニズムが強まりました。

19世紀になると、革命・自由主義・世俗化への反発から、ローマ教皇の権威を重視するウルトラモンタニズムが強まっていきます。

第1バチカン公会議

ウルトラモンタニズムの勝利を象徴する出来事が、1870年の第1バチカン公会議です。

ここでは、教皇が信仰や道徳について正式に宣言する場合、その判断には誤りがないとする教皇不可謬説が確認されました。これにより、ローマ教皇の権威は強化され、ガリカニスムのように各国教会の独自性を重視する考え方は後退したのです。

まとめ

ガリカニスムは、フランス教会の独自性や王権の関与を重視し、教皇権を制限的に考える立場です。

ウルトラモンタニズムは、ローマ教皇の最高権威を重視し、各国教会は教皇に従うべきだとする立場です。

この対立は、単なる宗教思想ではなく、近世から近代ヨーロッパにおける国家権力と教皇権の関係を理解するうえで重要な考え方です。