アレクサンドロス大王に敗れたダレイオス3世のその後
ダレイオス3世の敗走
ご存じの通り、アケメネス朝ペルシアの王「ダレイオス3世」は、アレクサンドロス大王との戦いの中で直接戦死したわけではありません。
ダレイオス3世は、前333年のイッソスの戦い、前331年のガウガメラの戦いで敗れた後、帝国東方へ逃亡しました。アレクサンドロスがペルシア帝国の中心部を掌握していく中で、ダレイオス3世はなおも東方で再起を図ろうとしていたのです。
東方での再起の失敗
しかし、敗北が続いたことで、ペルシア側の有力者たちの間ではダレイオス3世への求心力が急速に低下していきました。王が東方へ逃れ続ける中で、配下の中には、アレクサンドロスへの抵抗を続けるよりも、自ら主導権を握ろうとする者も現れてきたのです。
その代表が、バクトリア総督であった「ベッソス」です。ダレイオス3世はバクトリア方面へ逃れる途中、このベッソスらに裏切られて拘束され、前330年に殺害されたのです。
ベッソスの裏切り
ベッソスはアケメネス朝の東方属州バクトリアを治めていた有力者で、ダレイオス3世の臣下でありました。
しかし、アレクサンドロスの追撃を受けてペルシア側の敗色が濃くなると、ダレイオスを見限り、彼を拘束して自ら王位を狙いました。
ダレイオス殺害後、ベッソスは「アルタクセルクセス5世」を名乗り、アケメネス朝の後継者としてマケドニア軍に抵抗を続けようとしたのです。
ベッソスのその後
しかし、ベッソスの行動はペルシア王権の正統な継承というよりも、主君を裏切った簒奪と見なされました。アレクサンドロスはダレイオス3世の遺体を丁重に扱い、自らをアケメネス朝の後継者として位置づける一方で、ベッソスを主君殺しの反逆者として追及しました。
その後、ベッソスは配下に見捨てられて捕らえられ、アレクサンドロスのもとへ引き渡されました。彼は処刑され、ダレイオス3世を殺害して王位を狙った試みは失敗に終わりました。
この一連の出来事によって、アケメネス朝ペルシアの王統は実質的に断絶し、アレクサンドロスによる東方支配がさらに進むことになります。